代表取締役社長である私は右手に「静脈奇形種」を持っています。

 1988年、何の変哲もない家庭に生まれました。3歳になったある日、両親が右手の異変に気づきます。親指から人差し指、その手の平も含めて、手が日に日に大きくなっていくのです。心配になり、親が近くの病院に連れていくが、原因がわからず、たらい回しにされていました。現在では、「静脈奇形種」は、医療の世界でも知られているようですが、当時はあまり知られていなかったようです。最終的には、育ちであった広島で最も大きな病院である広島大学病院に行きました。そこで日本でも5本の指に入ると言われるほどの先生に診てもらい、ようやく対応してもらえることになりました。

 3歳の頃は膨らみを小さくするために、メスを入れて静脈奇形腫を取る手術をしました。3歳の頃は手が小さく、血管を顕微鏡見ながら縫合する等の手術が非常に困難で、12時間以上にも及ぶ手術時間でした。私は眠っているため、何ともないですが、親の気持ちを考えると本当に辛かっただろうなと思います。

 5歳の頃は、手術の切り傷のせいで人差し指がまっすぐ立たなくなったのを伸ばす手術をすることになります。人差し指の爪の付近から垂直に、ペンより一回りくらい小さい金具を刺して伸ばすという方法でした。

 それからは7歳、11歳、14歳というスパンで静脈奇形種が増えて膨らめば、メスを入れて取るという手術を繰り返しました。高校生からは大人の体に近づいたことで、膨らみも気にならなくなって、進行はほとんどしなくなりました。

 30歳になった頃、膨らみや、痛みが気になり始めて、上京していた私は広島でお世話になった先生の元を訪れました。妻も息子もいて広島で手術をすると、帰れなくなるから関東の先生を紹介してほしい旨を伝えました。そして、神奈川の赤十字病院の先生の元を訪れたのです。すると、その先生からさらに違う先生を紹介してもらえることになりました。その違う先生というのは放射線科の先生でした。今まで関わってきた先生は全て整形外科の先生であったため、驚きでした。話を聞いてみると、メスを入れても取り切れないのは、常々言われていましたが、今回は、静脈奇形種そのものを硬化してしまい、小さくしてしまおうというのである。確立した方法というわけではなさそうであったが、賭けてみる価値はあると思い、その手法を研究している聖マリアンナ病院にいる放射線科の先生を紹介してもらいました。

 実際に手術して、手に何発も薬を麻酔なしで投入して硬化していきました。すると、間違いなく膨らみが減ったのがわかりました。それからは痛みも少なりました。実際はその手術を15回くらいすると良いということでしたが、4回くらいしたあたりで、痛みも膨らみも自分の中の許容範囲まで減ったため、終わりにしました。

 こうした医学の進歩を目の当たりにして、本当に驚きました。長年苦しんできたものがこんな簡単な手術で解決するなんて。きっとこれからも私のような人がいた場合は、適切な治療方法で治療でき、静脈奇形種が大きくなりきる前に対処できるのだろうと思います。

 その感動を今でも忘れられず、医学・科学の進歩のように以前より強く

                                 「人が感動することをしたい」

                                                と思うようになりました。

 もともと、高校生の頃から私は音楽を仕事にしたいという目標がありました。生活もあるため、サラリーマンをしながら、空いた時間を使って音楽をしているという状況でした。そんな中で音楽に携われる時間があまりにも少ないと感じ、先の生活に心配がなくなれば、好きなだけ音楽ができるようになると思い、起業を考えるようになりました。

 そこでたまたま見ていた起業サイトでおそうじ革命に出会いました。占いに信仰心がそんなに強いわけではないのですが、6月15日は“天赦日”と“一粒万倍”が重なるであり、「最強開運」と呼ばれていることを知りました。この日に開業や、銀行開設、その他諸々いい時だと聞いていました。この日の仕事終わりに何か決断をしたいなと思った矢先の話でした。一本の電話がかかってきたのです。その電話がおそうじ革命でした。仕事終わりにサムネイルとタイトルを見て、資料請求だけしただけでした。中身のことは何も知らなかったのですが、よくよく話を聞いてみると、他の業者の情報を見ていて抱いた懸念点を全て解消してくれる会社だったのです。最初の電話の後、中身を見て左記のことを知り、説明会にすぐ申込しました。この仕事そのものもお客様に「きれいになった」という感動を与える仕事であると感じたことも決め手となりました。

 以上から私は会社を設立し、まずはお金を稼いで時間の自由を手に入れて、沢山の感動を与えながら人生を謳歌することに決めたのです。 そして、最終的には、音楽でより多くの感動を世界中に届ける、そう心に誓います。 世界平和を夢見て。